2010/04/20 (Tue) 花の盛り1

■瀬戸内。四国壊滅。



 不意に揺れた気配に元就は筆を止めた。
 気配に誘われるように視線を遣れば、元就の坐している場所からもひとつ、今が盛りよとばかりに咲き誇る花の木があった。
 だが、それは元就が此処に坐す前から久しくそこにあり、今更改めて元就の意識を引くものではない。

 春の風が花を揺らしでもしたか。花の蜜を吸いに鳥でもやってきたのか。
 それとも忍びか闖入者か。
 さて何が己の意識を引いたものかと揺れた気配の元を辿れば、花の下にあったのは、花を見上げる鬼の姿だ。
 
 風が吹き、目にも鮮やかな衣を揺らす。
 西海の鬼。鬼が島の鬼。
 そう呼ばわる鬼の姿に元就は思わず息を飲み込んだ。
 カタン、と手元で音がなる。
 筆をちょうど硯の上にと、置いたのは無意識の所作であったか。

「貴様、……其処でなにをしておる」

 現がどこか遠いもののように感じられ、出したつもりでいた声は、己の喉から発されたもののようには思えなかった。
 風の音がうるさい。
 これでは自らの声は元より、鬼の応えも聞こえぬではないかと元就は眉間に皺を寄せた。
 だが、花は揺れぬ。衣も揺れぬ。
 ただ轟々と。
 耳を覆わんばかりの轟音が己の心の臓より発せられたものだと気がつけたものか否か。

「よお、毛利」

 咲き誇る花を見上げていた鬼は元就の姿を認めると、その姿をよく見ようとでもするように隻眼を細め、ゆっくりと笑みを浮かべてみせた。
 きれいなもんじゃねぇか。なぁ。鬼が笑う。笑って見せる。

「フン、貴様に花を愛でる趣味があったとはな」

 元就の言い草に鬼は、くっくっと肩を揺らした。
 花はいいもんさ、とどこぞの風来坊のようなことを言って、いかにも意味ありげに元就の姿を眺める。
 鬼の視線が煩わしい。

 なあ、と鬼が媚びるような声を出す。
 その精悍な顔に笑みを浮かべて、碇槍を構えてみせる。
 ああ、元就も嘆息するとまた輪刀を手に庭へと出た。
 冥途へ送ってくれようぞ。
 対面に立ち、輪刀を構えれば、鬼が、はっと吐き出すように笑う。

 そうこなくっちゃなあ、楽しそうに眼を細める鬼に、だが元就は表情を変えぬままに睥睨するばかりだった。
 それでも、中国の主を引っ張り出したことに、鬼は満足げな顔をする。

 風が吹く。花が揺れる。
 元就は、ふっと笑うような吐息を零した。

「鬼よ、このようなところに来ていてよいのか?」
「うるせぇっ!」

 その言葉を契機に男が槍を振るう。
 夢か現か。
 元就の表情に険がこもる。
 輪刀で受け流して距離をとった。
 くるりと反転して横に払えば、その動きを予測していたらしい男はがっちりとその刃を受け止める。

「あいつらがな、すみませんすみませんっつってな、泣きやがるのよっ!」
 鬼が怒声とともに得物を振り上げる。
「守れなくてすみませんってなぁ!」
「……っ」

 甲高い音を立てて刃が交わる。
 互いの得物がぶつかり合う度に火花が散った。
 鬼の攻撃は重く容赦がない。
 元就は奥歯を噛み締めた。
 気を抜けば、今にも震えそうな指に力を篭める。
 それは恐れなどではなく。ただ畏れにも似た。

「……そりゃぁ、俺の台詞だろうがっ」
 鬼が噛み締めるように呟いて吐き捨てた。

 間近にある鬼の隻眼に元就は息を飲み込んだ。
 だからなぁっと鬼の声が間近で響く。
 足払いをかけられて、どんっと身体を地面の上に押さえ込まれたのはそのせいだ。
 打ち付けた背中に思わず呻いて、元就は双眸を痛みに眇めた。
 鬼の動きは止まらず、振り上げられる碇槍を見る。

「てめぇもそうじゃねぇのかと思ってなぁっ!」

 元就の倒れるすぐ傍らに鬼が碇槍を突き立てた。
 まったく、と元就は思う。
 ほんの数合だというのに、乱れた呼気が不愉快だった。
 男の手の平が元就の肩を地面に押し付けてくる。
 間近に迫った顔に、元就の上にいる鬼も同じなのだと知った。
 乱れた息を整えながら、互いに言葉もなく見詰め合う。

 この鬼はなんと言ったのであったか。
 胸を煽がせ元就は応える。

「戯れ言を」

 元就の言葉に男が顔を歪めた。
 なあ、と鬼は倒れた元就の肩に顔を埋めるようにして頭を伏せる。
 銀の髪が首筋をくすぐり元就は僅かに眉を顰めた。
 呼吸を止められてでもいるかのように肺腑が苦しい。
 胸が詰まる。

「……愚か者め」

 ようようと吐き出した言葉は驚く程に吐息混じりで。
 だが、鬼はそんなことになど気づいていないかのように元就の頬に手をやり鼻を寄せる。
 近づきすぎぞ。
 そう思ってみたところで、身体は何故か鉛のように重く鬼の身体を退ける気にはならなかった。
 かつてこれほどこの鬼に近づいたことなどあったであろうか。
 今更のように思えて、元就は口許に苦笑するように笑みを浮かべた。
 そんなことも。
 そのようなことですら。

「ああ、なあもっと言ってくれよ」

 鬼の声はやけにしゃがれてひびわれている。
 元就は笑みを消し、眉を寄せた。

 なあ、責めてくれ。
 貴様のせいだと。
 貴様が悪いのだと。

 呪詛のように続けられた声はだが果たして本当に音にされていたものかどうか、元就にはわからなかった。
 触れられたところから鬼の意識が流れ込んできているだけなのかもしれぬ。
 それほどに、近く深く鬼の言葉が沁み込んでいく。
 
 鬼は何度も耳元で繰り返す。

 どうでも。どうでもよかろう。
 既に貴様は。
 鬼の囁き声に身を浸しながら、元就はその震える肩越しに空を見上げた。
 この季節には珍しく、空は青く。雲は遠く。

 ああ、と元就は嘆息した。
 四国に火の手があがったのもこのような日であった。
 油断が、あったのだろう。
 鬼が戻ったところで。
 船を出したところで。

 手遅れであったのだ。

 なあ。毛利。と鬼が縋る。
 元就と鬼の声が囁く。

 貴様、何ゆえここに来たのだ。我の前に現れた。
 もうどうにも。
 どうにもならぬであろうに。
 
 鬼の慟哭をその身に受けながら、元就はただ空を見詰め続けた。 


 弔いの炎がこの鬼の身体を焼いたのはこのような日であったというのに。


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