2012/08/06 (Mon) 「細道」サンプル

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■記憶のない鬼のあにきと転生した毛利さんの話。「おとおりみち」「とおりゃんせ」の後の話になります。


■■■

 いつのまに、こんな道に迷い込んだのか。
 元就は双眸を瞬かせた。目に入る見知らぬ家並みは瞬きをしても変わらずにそのままだった。思わず、と溜息が漏れた。道を間違えたのだった。眉が寄る。それもこれもあの鬼のせいだと、あの鬼のことを思い出してしまったためだった。
 教室を出た時から気がついてはいたのだった。いつもであれば元就が帰宅しようとすると、すぐに姿を現す鬼がいつまでも現れなかった。元就が校舎を出て正門を抜けても、よお、とあの鬼の声がしない。
 気にする素振りを元就は出さなかった。立ち止まることも振り向くこともせず、元就はいつもの道をひとりで歩く。あの鬼の気まぐれは今に始まったことでもなかったからだ。帰り道ですらあの鬼は、いつも同じ景色じゃつまんねぇじゃねぇかなどと言って、頻繁に道を変えさせることがあった。だから貴様はいつまでたっても方向音痴なのだ。呆れた元就が思わず告げれば、鬼は変なものを飲み込んだような顔をして元就をまじまじと見下ろしてくるのが常だった。
 その訳もわかっている。元就は、自身が鬼の気質を知っていることについて、敢えて隠すつもりもなかったからだ。だからと言って、そのからくりを懇切丁寧に記憶のない鬼に話すつもりも元就はなかった。ただ、鬼の言うとおりにいつもとは違う道を選んでやる。それだけだ。鬼の前を素通りしても、無理矢理に引きとめようとする腕はなかった。既に鬼も元就を無理に問い詰めようとしても、それが無駄なことだとわかっているからだ。
 ただ背中から声が追いかけてくる。
 おまえさあ、と鬼の声は少しばかり呆れているようだった、話すつもりもねぇくせに隠すつもりもねぇのかよ。
 あんたが俺を知っていることについて、とはもう言葉にされなかった。鬼は根拠も何もなく、ただ元就が鬼を知っていることについては確信を持っているようだった。
 そんなことを何度か繰り返し、帰り道はほぼ網羅していると思っていた。だというのに、今いる道は元就の知らない道だった。いつのまに道を違えたのか、元就には記憶にない。
 だが、いつまでもこうしていても埒があかない。とりあえずは来た道を戻ろうと、元就は踵を返そうとした。
 だが、途端に肩を掴まれて、気が付けば背後に人の立つ気配がする。引き寄せられた肩が、とんっと誰かの胸に支えられた。長身の男のようだと思う。だがそのことよりも人の気配に気付かなかったことに、元就は信じられぬと驚いた。少なくとも過去の記憶を持つ元就の意識は他人の気配に関しては過敏な程だったからだ。相手が正式に訓練を積んだような者ならばともかく、常人に後れをとるとも思えなかった。とっさに肩に置かれた手を振り払い、元就は振り向こうとした。だが、肩を押さえる手はびくともせず、腕を振り上げることもできない。
 ますます不快に眉が寄った。
 これがあの鬼でないことはわかっていた。
 なにより元就はあの鬼に触れられて、生理的な嫌悪感を感じたことはなかったからだ。
 それでも視界を掠めた銀の髪には反射的にどきりとした。だがそれは女のように長い銀の髪だった。さらりとした銀糸が元就の肩から胸へと垂れ落ちてゆく。背後のそれが顔を俯かせたのだと、元就は知ることになった。
「いい匂いがしますねあなた」
 その声に、ふと思い出した。
 そうだこれが、元就を始めに我に返らせた声だった。長い銀髪の男とすれ違ったことを覚えている。道を違えたと気がついたのは、いい匂いがしますねえと男が笑って声に出したせいだった。
 あれか、と元就は思う。
「離せ」
「いやです」
 ああでもと男が頭の上で笑う気配がする、離したあなたを追い詰めるのはとても楽しそうだ。くつくつと声に合わせて銀髪が揺れる。
「でも駄目ですよ。その前に私にもくださらないと」
 こんなにいい匂いをさせて、と耳元で囁かれて、ぞっとした。思わず身を捩る。右手の指が空を握りしめたのは、かつての得物を探ってのことだった。今でも何かあれば咄嗟に右手が反応する。元就は、これはあの鬼と同じ種類のものだと理解した。この手に輪刀があれば、と思うのはそのせいだ。人でないものに対してただの人である元就はどうしようもなく無力だった。
「…っ」
 耳の下を舐められる。思わず、漏れそうになる悲鳴を元就は押し殺した。元就に対していいにおいがすると最初に告げたのはあの鬼だった。あれが常に露払いのようなことをしているのを知っている。あれと出会ってから元就の周囲は元就の知れぬところで騒がしかった。
 途端に首筋が熱くなる。
 思わず、ひっ、と押し殺し損ねた声が漏れる。目を見開いた。男の唇が首筋に埋まっていたせいだった。両腕を掴まれ、直立の姿勢のまま元就は動けない。どくどくと血の流れる音がした。鉄の錆びたような臭いが鼻につく。まるで吸血鬼のように、男に噛みつかれたのだ。理解した頃には、視界が急激にせばまっていく。
 死ぬのか、と元就は思った。
 こんなところで、あの鬼の手にかかることなく死ぬなど、徒労以外のなにものでもなかった。
 元就にとっては、これだけ若くして死ぬのも初めてのことだった。
 記憶を持ったまま転生を繰り返すと知ってからは、常になるべく死なぬように生きてきたからだった。
 ずっと生きているのと、ずっと記憶を持ったまま転生を繰り返しているのと生き続けている時間としては何が違うのか、と元就は思う。ずっとあの記憶にある最初の生を元就は生きている気分だった。どの生も毛利元就の意識のある限り、あの生の延長だった。
 元就は、何度死んでも毛利元就の意識を持ったまま赤子として生まれるのだ。
 初めは、手足は思うようには動かず外界を知る感覚も閉ざされている。暫くはまどろみの中、閉じこめられている状態に近かった。体の方が意識に馴染むのに数年を要するのだ。やがて、脳が意識に追いつきだすと、不意にぱちりと目が覚める。大抵は心配そうな顔でこちらをのぞき込んでくる人の顔があった。その顔を元就も暫し見つめ返す。幸いにも見つめてくる人が両親であると、元就は過たずに認識することができた。おかあさんとまだ言葉を発するのに馴れぬ舌が年齢よりは舌っ足らずな声でその人を呼ぶと、その人は最初は信じられぬように驚き目を見開いて、それから元就の小さな身体を抱き締めてくる。それは、新しく生まれ直した際のささやかな儀式のようなものだった。そもそも元の生からして血のつながらぬ養い親に半分は育ててもらったようなものだった。その人たちを両親として敬うのになんら意識上差し障りなど起こりようもなかったのだ。
 言葉も遅く反応の鈍い我が子にそれまでいらぬ心労をかけさせている分、元就はよい子供であろうとした。両親が家を外しているのも長年の信頼の賜物だ。
 両親のことを思い出せば胸が痛んだ。
 逆縁はなによりも親不孝なことに違いなかった。元就自身、先に息子を亡くしたことがある。そのときの痛みをいつまでもいまでも覚えているせいだ。
 これもそれもあの鬼のせいに違いなかった。
 あれも言っていたではないか、よい匂いがすると、あの鬼が屋根に上ると探るような気配がいくつか消えることには気がついていた。あれが夜中になにかをし、遠ざけていたものが、あれの隙をついて元就のところまでやってきたに違いないのだ。つくづく守りには向かぬ男だった。詰めが甘いのだ。俺がいないと困るというのはそういうことではなかったのか、と元就はせめて悪態をつく。
 我の親不孝は貴様のせいぞ。
 今日とてあれは、恐らく気紛れに元就の側を離れたに違いがないのだ。過去の世において、あれの国が滅んだのは、あれが国を離れている間のことだった。俺はあの日ちょっと散歩に出ただけのつもりだったんだと過去においてのたまったあの鬼の愚かさを元就はずっと疎んじていた。結局、愚かな鬼は愚かなまま死んだ。死んでも馬鹿は治らないとはよくいったもので、あれは鬼となった今でもその愚かさに変わりはないらしい。
 あれをこの場に呼ぼうと、元就は思わなかった。
 ただ輪刀があれば、と思う、このような輩に好きにはさせぬものをと歯噛みするばかりだった。あれに、このような無様な様など見せるつもりは元就にはなかった。それならば、まだ一よりやり直す方がましだった。あれが元就に手を下さぬのであれば、また元就は記憶を持ったまま新しく生まれ落ちるのだと思った。故に、また一よりあれを探さねばならぬ。だがそれでも、あれが鬼となったとわかっていれば、見つけることはそう難しいことでもないように元就には思えたのだった。そして今度こそあれに殺される。どさりと鞄が肩から落ちる。元就は、重くなるまぶたに逆らうことができずに目を閉じた。

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