2011/12/09 (Fri) 「おとしもの」サンプル

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■チカナリ。あにきの赤緑青と渡っていく話。


■■■



 元親の得物が友であった男の肉を裂いた。持ち手に常よりもしかりと肉を裂く手ごたえが伝わってくる。気のせいだ、元親は無意識に奥歯を噛み締めた。家康の肉を裂いているのだと、元親がいつもよりも意識しているに過ぎない。は、と息が漏れた。唇を舐め、得物を握る指に何度も力を篭めなおす。槍を振れば、吹き出す炎が家康の腕や首の皮膚を炙った。叩きつければ、骨を傷つける。喘鳴がやけに耳についた。子どもが泣き声を堪えるような音だった。元親はくしゃりと顔を歪め、家康を岩肌に叩きつけた。それが最後だった。家康は、もう立ち上がることができないようだった。それを視界におさめて元親は反動で地面に突き刺さった碇槍をそれ以上抜くことをやめた。勝負はついたのだった。
 戦は、まだ続いている。だが、奇妙な程に二人のいるこの場は静かだった。しばらくは、互いの荒い息遣いが場を満たす。
 国が壊滅していたあの日から、轟々と血の沸き立つような音が耳のそばでずっと聞こえていた。
 うるせぇ、と元親は叫ぶ。うるせぇうるせえ。だが、その音はいつまでも元親につきまとってくる。独眼竜が何かを言う。それも、轟音に呑まれて何を言っているのかわからなかった。うるせぇ、元親は叫んだ。あんたこそなんでそこにいるのか。あんたも家康に味方をするのか。あいつは四国を襲撃させた奴だ。俺の留守に襲ってきて、野郎どももなにもかもみんな壊していくような奴だ。あいつは天下を目指して、俺と交わした約束を忘れちまった。あんたはそんなあいつの味方をするのか。あんたも天下を狙ってたよなあ、へっと元親は馬鹿にするような笑いを吐き出した。あんたもあいつと同じか。俺は仇を討ちにいく。あんたが邪魔するってぇなら、俺は容赦しねえよ。ひとつ眼同士が睨み合う。血の沸き立つ音に邪魔されて、独眼竜の声も聞こえなかった。うるせぇと元親はもう一度顔を歪めた。
 だがそれも今はもう静かだった。
 あいつらの仇が今目の前に倒れているせいなのか。
 家康はついに立ち上がることを諦めたようだった。力を篭められぬ自身の身体を見下ろして、困ったように笑みを浮かべる。それから顔を上げて、元親を見た。そんな様子をずっと見ていた元親と目が合うのは簡単だった。苦笑染みた笑みの気配とともに、家康が口を開く。
 相変わらず、元親は強いなあ。
 その声に、静寂が微かに乱れる。この男と元親は遠い昔に約束を交わした。意気が統合し共に戦った。直接勝負では元親が勝ったが、この男になら天下を任せられる、元親はそう思った。実際はそう昔でもない筈なのに、元親には酷く遠い過去のように感じられた。今目の前にいる男から、元親はその頃の家康を思い出した。胸が騒ぐ。熱くなる。だが、と元親は思う、こいつはその時の約束をもうすっかり忘れちまったんだ、拳を握り、元親は唇を噛みしめる。
 満足か、元親。
 苦しそうに息を吐き出しながら家康が尋ねてくる。その喘鳴が移りでもしたように、元親も息苦しい。まっすぐに見上げてくる家康に、呼吸ができないように気持ちになって、何かに憑かれたように元親は叫んでいた。
 これは仲間の仇っ、野郎どもの無念だ…っ。
 満足か、などと、満足である筈がない。まるで泣き出す直前のように鼻と喉がひどく痛んだ。仇は討った。それなのに、苦しくて堪らないのは何故なのか。家康が俺を裏切ったせいか。信じていたのに、約束を忘れちまったせいか。あんたなら、天下を任せられると俺は思っていた。おまえを信じていた。信じていたのに。声にならぬ声が奔流のように渦巻いた。
 そうか、ならいい。
 言葉を噛み締めるように呟いて。家康は小さく笑みを浮かべた。そんな家康の姿を見たのは初めてだった。こんなに落ち着いた話し方をする男を元親は知らなかった。男は、言葉のひとつひとつを相手の皮膚から内側に染み込ませるように、ゆっくりと静かに語りかけてくる。大切に言葉を紡ぐ。静かなその声は、だが決して冷たく平坦ではない。そこには確かに親しい者に向ける情愛が滲んでいた。それは元親の硬くなってしまった殻を、やわらげようとする声だ。元親は呆然と、おまえは、と語り掛けてくる男の声を聴く。
 だがそれも、不意にぱたりと止んでしまった。
 元親は、我に返る。もう男は話しかけてはこない。目の前にあるのは、力尽きた男の身体ばかりだった。とっさに元親は何かを言おうとした。それは、目の前の男の名かもしれず、逝くな、と喉の奥から溢れ出そうとした言葉かもしれず、だが、持ち上げかけた腕を元親は力なくそのまま横に下ろした。じゃあなんで、と奥歯を噛みしめる。なんで騙し討ちのようなことをした。俺の国を、俺の留守に。わからねぇよと吐き捨てると元親は男から目を逸らした。見ていることができなかった。どうして、といくら口にしたところで、応える声は二度と返ることがない。その事実を直視することができなかった。




 唐突に意識が浮上した。がくりと体勢を崩す。ああ、と元親は目を開いた。見慣れた砦の中の部屋の姿が目に映る。どうやら壁に凭れて座ったまま、眠ってしまっていたようだった。寝るなら布団に行ってくだせえよなどと言ってくる野郎どもはここにはいない。元親は、額に手を当てると、眠気を払うように頭を振った。だが実際に払いたいのは、夢の残滓だ。また同じ夢を見ていた。あの日からだ。家康を討つ夢を見る。いや、実際に、あいつを討ち取った時の夢を見る。あいつを倒すまでは壊滅した四国の夢を見ていた。そのことばかりを考えていたからだ。無残に焼けた死体と黒く焦げた家の柱、そこに落ちていた焼け焦げ薄汚れた徳川の旗。繰り返し見ては、魘された。だが、あいつをこの手で討ってからは、あいつの夢ばかりを見るのだった。あいつのことを考えてばかりだった。隠し砦に引きこもった元親には他にすることがない。砦の仕掛けの手入れをして、手慰みに新たなからくりをいじる。だが何をしていても、元親はあいつのことばかりを考えている。四国を襲撃したのは徳川軍だ。元親が家康をそうして討った今、その事実は世の中に定着してしまった。それでも、元親の前では言わないが、野郎どもの中には今でも信じられねぇっスと、思っている奴がいるのを元親も知っている。だよなあと元親も同じように思うのだ、俺も信じられねぇよ。家康に会う前とは違う。実際に今の家康と最期に会ってみてやはり、元親は信じられねぇよと思うのだった。だが、もう確かめることはできない。あいつは死んでしまった。元親が殺してしまった。もう問い質すこともできないのだった。
「……俺が」
 頭を抱え、蹲る。だが、呟くその声は元親自身には聞こえない。
 人の声が聞こえなくなったのは、家康を討った後のことだ。鳥の声も波の音も人の立てる物音ですら聞くことができるのに、人の話し声だけが元親には聞こえなかった。当然外因性のものである筈がない。心の病だ。嘆く野郎どもの声も憤る石田の声も、大谷の声も毛利の声も、元親は聞くことができなかった。高名な匙のもとに連れて行かれ首を振られた。それでも尚、と縋る野郎どもに元親は両手を挙げ、すまねぇなと苦笑してみせた。石田にも義理立ててつきあってはみたものの、元親にははじめから治る見込みのないことなどわかっていたからだ。
 最後にあいつの声を聴いた。あいつの最期の声だ。もう二度と、聞くことのできないあいつの声だ。
 それが理由だというのは夢想に過ぎるだろうか。だが、元親にはあいつの声以外聞こえないのだという自信があった。そして、あいつはもうどこにもいないのだった。元親が殺してしまったのだから、それはよく知っている。
 だから元親はそっと隠居し、隠し砦に引きこもった。心配する野郎どもから元親は逃げてきたのだ。
 ごろりと寝転がる。すると、頬にぺたりと何かが当たった。温かくてやわらかい。いつのまにかまた眠ってしまっていたのだと元親は思った。その間に野郎どもが様子を見にやって来たのか。目を閉じたまま、気配を探る。だがその割にはざわついた気配はどこにもしない。
 それに、べたりと鼻の上に当てられたのはてのひらに違いなかった。野郎どもの誰かであれ、元親に対してそのようなことをする者はいない。それに、触れてくる手の平がこんなにやわらかい筈もない。元親は億劫に思いながらも、うっすらと目を開けた。だがそれも僅かな間だ。
「長曾我部」
 それは確かに人の声で元親の名前を呼んだのだ。
 元親は驚いた。反射的に目を見開いてその声の持ち主を探した。どうやら仰向けになった元親の腹の上に乗っているそれは、小さな身を乗り出して元親の顔にぺたりと両手を伸ばしているようだった。明かりから遠いこの場では、その姿をしっかりと捉えることは無理だった。たがそれでも、その姿が子どものものであるとは分かる。それは元親が目を開けても構うことなくぺたぺたと頬や顔を触るのを繰り返す。それのなにがそんなにおもしろいのかはわからないが、その動きはいっこうに止まらない。元親は仕方なく溜息をつくと、片手を上げてそのやんちゃをする手を掴み上げた。
「おい」
 なんだおまえは。声は多少凄みを帯びて聞こえた筈だ。自分には聞こえぬが元親はそのつもりだった。だが、それはどうして邪魔をされたのかがわからないといった様子で、掴まれた手と元親の顔を交互に見下ろすばかりだった。その様子に、自分の声が聞こえていないのだろうか、と元親は少しばかり不安になった。もう長らく誰かと話していなかった。その間に自分は声を出すことも忘れてしまったのか。
 それはぽそりと声を出す。
「死ぬのか、長曾我部」
 死ぬのか。それの声はそう聞こえた。元親は眉を顰める。死ぬつもりがないとは言えない。こんなところに引きこもって飯もろくに食べずにいれば、いずれそうなることは目に見えていた。野郎どもも石田もここを訪れる者が誰もいなくなれば、元親が望むと望まざるとに限らず衰弱して終わりに違いない。
 一瞬野郎どもがこの子どもをここに連れてきたのかと元親は思いついた。だが、その考えも却下する。いくら野郎どもでも子どもをただひとりこの砦の中に放置する筈がなかった。この隠し砦には仕掛けが多く、子どもがひとりで耐えられる場所ではない。それに、これがただの子どもである筈がなかった。暗がりの中ざっとそれの装束の形を見てとっても、四国では恐らく手には入らぬだろう仕立てだった。それになにより、元親に声が聞こえる。初めはぎょっとしたが、やはりそんな筈はない。これは人ではありえない。
 ついに何かあらぬものを引き寄せでもしたか。元親はくつりと自嘲するような笑みを浮かべる。
「俺はよう、人の声は聞こえねぇんだ」
 だから自分の声も聞こえない。
「だから、おまえさんは人じゃあねぇんだろ」
 元親は息を吐く。おまえさんが何をしにここにきたのかはしらねぇが、見ての通り、ここにはみじめな鬼が一匹いるだけだ。
「そうよな、そなた、起き上がれもせぬのだろう」
 心のことか。元親は自嘲する。そうだ。痛くて痛くて立ち上がることができない。野郎どもの前で笑って見せるのも限界だった。
「友を討ったのが、それほどに辛いのか?」
 それは細い首を小さく傾げて見せた。その所作は物を知らぬ小さな子どものものだった。だが、声の響きは子どものものとは思えない。得体の知れぬなにかだった。それが身を乗り出して元親を見下ろしてくる。やり直したいか、とそれは言った。元親は目を見開いて、その幼げな何かを凝視した。
「そなた、気に入らぬのであろう」
 やり直させてやろうか。
 見下ろしてくるその双眸が元親の隻眼を捉えて離さなかった。そこから元親の心の中にとろりと何かが入り込んでくる。呆然と元親はそれを見つめた。不意に喉がひくりと震える。喉に何かが詰まったようだった。元親は身体を折り曲げてげほげほと噎せ込んだ。ひとしきり噎せた後に、元親は大きく息を吸う。気付けば、生理的なものではない涙が溢れていた。止まらない。泣くのか長曾我部、とそれの声がする。苦しい、と元親は喘いだ。苦しくて堪らないのだ。気が付けばそれに縋るようにして元親は咽び泣いていた。小さな手が、幼子にするように何度も銀の髪を撫でてくる。長曾我部、やり直すのか。その声を最後に元親の意識は暗転した。

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