2011/08/15 (Mon) 「ボーダー」サンプル

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■チカナリ。アニキ緑ルートの後で、「あかときくだち」のもーりさんとその転生後のお話。

■■■


 最期に見ることになったのは、朱色の回廊、海に浮かぶ朱い大鳥居、瀬戸内の海と空、潮のにおい、安芸を守る大鏡、潮風にはためく参の旗、あの場から見える筈もないものたちは、碇槍に吹き飛ばされて、床に叩き付けられるそれまでに見えたものだ。受け身をとることもできずに地に倒れ立ち上がれぬ元就は、だがかろうじて首を動かした。かたきとなる男の顔を見てやろうと思ってのことだった。
 我ながら、元就は苦笑とも言えぬ心持ちになる、悪趣味なことだと自嘲した。元就の予想通り、傷だらけになった男がひとり、そこに立ち尽くしていた。男が肩に羽織る衣が音を立て風にはためいていた。雲が流れる。我は、と知れず呟きが零れ出た、誰よりも聡く、と血が喉を迫り上がり言葉が途切れる。それでも掠れる視界に男の姿をおさめながら元就は愉快であった。血に噎せる。脅威であったと、口にしたそれがしかと声になっていたのかは既に定かではなかった。ただ、倒れた元就を見詰め、首を落とすでもなく立ち尽くす男に向かい、元就は笑みのひとつでも浮かべてやりたいところだった。そうであったろう? 元就は血を吐いた。視界が陰り空の色が失われた。だが、それでも自分を討った男から目を離す気にはなれなかった。
 美しい瀬戸内の海に浮かぶ厳島、それからあの男の笑い出したくなるような酷い顔。それらが、元就が今生で最後に見たものだ。



***



 雨が降っていた。
 空気を湿らせる霧のような雨だった。外に出たときには傘を差す程でもない雨に、油断をした、と元就が眉を潜めたのは少し前の話だ。
 雨足は強まり、ぽたりと濡れた髪から垂れた水滴が頬を濡らした。首筋まで伝い落ちた水滴は、そのまま襟の下へと滑り落ちた。いつのまに、本格的に降り出したのか。雨に濡れた服が張り付いて気持ちが悪い。元就はぶるりと身体を震わせた。早く帰りたいなどと思っていると、毛利、と低く嗄れた声が耳元で元就の名を繰り返した。毛利。毛利。と囁かれる声に、元就は溜息をついた。
 雨の中、道の端で、もうずっと元就はひとまわりは大きい男に抱き竦められているのだった。
 これがただの変質者であれば、と元就は思う、それ相応に痛い目に合わせて仕舞いだというのに。抱き締めたられたままそう思考を遊ばせて、元就は内心で苦虫を噛み潰した。そうであれば今頃は既に部屋に帰り着き、風呂に入っていることもできた筈だった。元就には警察に突き出すほどの親切心の持ち合わせもなかった。そのようなことで時間を取られるほど、男に構うつもりもない。だが、この男を変質者とするには、元就は男のことを知っていた。今ではなく、過去のことだ。かつてこの男が西海の鬼と呼ばれ称していた頃のことだった。
 元就には過去の記憶があった。前世と呼ばれるようなそれだ。戦の世に生きた記憶だ。生まれてよりずっとそうだった。ため息を吐く。恐らくは、今自分を抱き締めて離さぬこの男もそうなのだろう。元就にとっては因縁の深い相手だった。
 元就を殺したのはこの男だ。
 雨の中、元就はつい信号が赤であることに気が付いて、横断歩道で止まってしまった。通行人も車の通りもなく、まして小降りとは言え傘を持たない雨の中だ。信号など無視をして渡るのが自然な状況に、元就はしまった、と顔を顰めた。一度守ってしまった以上、青になるまで動けそうにもない自身に内心で溜息が漏れた。赤信号を睨みつけて、色が変わるのを元就は待った。その間にも雨足は少しばかり強くなっているようだった。
 後ろから走ってくるような足音も不思議ではなかった。元就と同じように傘を持たぬ輩だろうと元就は思い、気にもせずに信号を見上げる。ちょうど青に変わったところだった。だが一歩、前に踏みだそうとして元就にはそれが叶わなかった。後ろから、突然腕を捕まれたせいだった。
 なっ、と声をあげる。自分よりも大柄な男だと気配で知れた。咄嗟に反撃を試みる前に、毛利っ、と名前を呼ばれ、その声に身体がこわばった。それまでに馴染みのない、だがよく知っている声だったからだ。腕を引かれ振り向かされた目の前には、必死な顔をした男が息をあらげて元就を見下ろしている。
 知っている顔だ、と元就は思った。
 元就がそうであるように、男もかつてと変わらぬ姿だった。だが、かつて顔の半分を隠すようにつけていた眼帯も今はしていないようだった。その代わりのように、眼帯で覆われていた側には前髪が垂らされていた。捕まれた腕の距離が近い。濡れて重くなった銀糸の奥に、閉じられたままのまぶたとその上に走る傷跡まで見て取ることができた。この男はまた隻眼なのか、と少し胸を過ぎるが、関係のない、と元就は心の内で切り捨てた。
「毛利」
 元親が大きく息を吐き出しながら、再度名前を呟いた。腕を掴む指には痛いくらいの力が篭められている。この男が何をそんなに必死になるのかわからなかった。元就は思う。ああ、一度殺しただけでは飽きたらぬのか。ぽつりと元就は思った。これは、随分と情に篤い男だった。仲間を殺した仇を討ちに元就のもとにやってきた時には、逆に憎たらしいほどに落ち着いていたものだったが、それでは飽き足らなかったのか。それとも、と元就は思う、元就にとどめを刺し損ねていたせいだろうか。そのせいで、仇を晴らすことができないでいたのか。間抜けなものだと元就は思う。
 不思議と気持ちは凪いだままだった。ひとりで生きてきた元就には、いま此処で命を絶たれようともどちらでも構わぬと思えてしまうからなのか。
「なあ、俺…俺は、あんたに…、あんたと」
 元親は何度も口を開いては、言葉に詰まってみせる。
 その度に指に力が篭められて、元就は僅かに眉を顰めた。痛いと思う。だが、目の前の必死な男にそれを伝えようとは思わなかった。
「…俺はあんたに謝らなきゃなんねえ」
 ひどく思い詰めたような顔だった。
 そんな元親の顔を見上げながら、なにを、と元就は思った。かつてこれが一方的に元就に言い捨てた、それが叶わなかったか。駒や安芸の面倒を見損ないでもしたのか。
「なあ、なにか、なにか言ってくれよ」
 なにを、と元就はふたたび思う。腕が痛いから離せとでも言えばよいのか。覗き込むように見下ろしてくる元親の右眼を見上げながら、元就はふと気がついた。ああ、もうその眸は金色ではあらぬのか、元就は知らず詰めていた息をそっと吐き出した。
 なあ、と男が必死な声を出す。
「…め」
「え?」
「もとに、戻ったか」
 何を言われたのかわからなかったらしい男が戸惑ったように眸を揺らした。必死さが薄れたためか、腕を掴む指の力も弛められる。そのまま離せばよいものを、と元就は内心で安堵の息を吐いた。掴まれた箇所がじんじんと痛んでいる。いまだ触れられたままの指からはじわりと熱が伝播するようだった。
「なんの話…」
「目だ」
 その眸を見据えながら告げてやれば、元親は言わんとするところを理解したらしい。ああ、と息を漏らし、二三瞬くと視線を逸らす。ああ、まあ戻ったってーかそうだな。
「…戻ったぜ」
 再び合わせられた視線にはどこか苦笑染みた色が浮かんでいるように見えた。だが、その所以など元就が知る由もない。
知る必要もないと思った。元就には再びこの男と誼を結ぶつもりもなかった。ふたたび、と考えた自身に元就は内心で苦笑する。好誼など交えたこともなく、あるのはただしく長の因縁に違いなかった。結ぼうとして結んだものではない。ただ地勢上、互いに無視のできぬ間柄であった、それだけのことだ。
 だがそのような縁もとうに切れた。
 ふと、元就は気が付いた。言いたいこと、と元親は言った。
「なんだ貴様、結局我のことを忘れてはおらぬのか」
 あんたが死ねば、誰も彼もあんたのことなんか覚えちゃいねえ、そう啖呵を切ったのはこの男だ。元就の人生を虚しいと言い、何も手に入れられなかったと嘯いた。俺の未来にあんたの影など微塵もねぇ。きれいさっぱり忘れてやるさ。そう勝手に言い切ったのはこの男の方だった。
 もとより、安芸の安寧以上のものを元就は手に入れようと思ったことなどなかった。だが、男の言葉に元就は激昂した。我ながら驚く程だ。腹の底よりこの男を滅してやるとの怒りに駆られた。貴様がそれを言うか。ぎりぎりと奥歯を噛み締める。己の不徳により国を滅されてもまだわからぬのか。ふつりと怒りが沸き出した。だが、それも過去の話だ。元就はそう思う。一方で、まるで痛いところを突かれたように、元親はぐっと顔を歪めて言葉に詰まった。
「毛利、俺は…」
 勘違いするな、元親の言葉を遮るような強い調子で元就は言い切った。
「我は、貴様と関わるのは今後一切まっぴらごめんだ」
 元親は息を飲み込んだ。大柄な男だけにその仕草すら大袈裟だ。
「……やっぱ許してくれねぇのか」
 眉を下げて、情けない顔をする。叱られた犬のような風情に元就は思わず眉を顰めた。
 許すも許さぬも、と元就は息をつく、許さぬのは貴様の方ではないのか。ふと漏れそうになった言葉を、元就は舌に乗せる前に飲み込んだ。押し問答になるのが目に見えていたからだ。いつまでたっても埒のあかぬだろうやりとりを、このような場所で長く続ける愚を元就は好まない。
「……過去のことであろう」
 いまだ雨は降り続いている。傘も差さず、差し向かって話す自分たちは傍から見れば奇異に映るに違いなかった。救いは人通りなどほとんどない道であることだ。だがそれも皆無ではない。またちらりと向けられる視線を感じて、元就は不快になった。
「過去のことだってならいいじゃねぇか!」
 元親の声が僅かに荒いものになった。
「…貴様に関わるとロクなことにならぬ」
 今もそうだ。元就は早く切りあげたかった。だが、ここで無視したところでこの男は納得するまで追ってくるに違いないのだ。
「俺は今度はあんたのことちゃんと知りてぇ」
 その言い草に元就は顔を顰めた。
「貴様の過去の悔恨とやらに、何故我が付き合わねばならぬのだ」
 迷惑だ、恐らく顔に出しても伝わらぬだろう相手に元就は最後通牒をする。
「あんたは、後悔してねぇ、ていうのか」
 擦れた元親の声はあの頃と同じ響きを帯びているようにも思えた。そうだな、と元就は呟く、そういえば、と思い出した、この男は元就に、泣いて後悔しろとそう言っていたのであったか。
 ふつりと残酷な気持ちが湧いた。
「そうだな、長曾我部。貴様が我にそう願ったのであったか」
 貴様が、孤独の底で泣いて後悔しろ、と我にそう言ったのであったか、昔の言葉を繰り返してみせれば、かつての鬼は苦虫を噛み潰したように苦渋染みた顔をしてみせた。これを突かれるのがそんなに痛いのか、と元就は自然と口の端を上げる。馬鹿な男だ。今更、過去の己の言葉に痛い思いをしてみせる。後悔なぞして、どうする、元就は男の愚かさを哀れんだ。
「我は、欠片も、泣いて後悔なぞせなんだぞ」
 残念であったな、元就が囁くように口にすると、元親は弱々しく頭を振った。残念とかそんなことじゃねぇんだ、と呟く。俺は、と元親が何かを話しだそうとする。元就はまたそれを遮るように口を開いた。
 元就はこの男のことなどなにひとつ知りたくなどなかった。今生のこの男のその思いもその過去もひとつたりとも、持ち帰りたくなかったのだ。
 誼を結ぶつもりもないとはそういうことだ。
「後悔していたのは、貴様の方であろう」
 ただの当て推量だ。過去のこの男のことを元就は知らぬ。厳島で仕留められ損ねて以来、元就はこの男の行方を聞かなかった。忘れたように、自分に向かってきた男などいなかったように、振る舞ってきた。長い縁も終わりだと男が告げたように、元就もまた思ったのだ。故に、この男が、元就を仕留め損ねていたことを知ったのかどうかも元就は知らなかった。ただ、目の前に立つ男からは、悔恨ばかりが伝わってくるのだった。会いたかったと元親は言った。ずっとあんたに会いたかった、同じ言葉を繰り返す男にいずれ何の冗談だ、と元就は考える。かつて仇を討って殺した男に会いたいなどと頭が沸いたとしか思えなかった。だが思い返してみれば、これはもとよりそのような男なのだった。
「…そうだっ」
 叫んで、元親は元就を腕の中に閉じ込めた。そしてそのまま今度こそまったく動かなくなってしまった。
「…離せ」
「嫌だ」
「長曾我部」
「いやだ」
「は・な・せ」
 いやだっ、はなさねぇとこちらを見ようともせぬままに男は頭をぶんぶんと振った。まるで駄々っ子に違いなかった。頑是無い子どものような男に元就は途方に暮れる。確かにこの男はまだ子どもなのかもしれなかった。少なくともTシャツにジーンズ姿の男はいまだ学生のように見えた。そう思って、溜息を零す。目の前の男のことなどなにひとつ知りたくなかったというのに、つい推測するようなことを考えてしまったことに、元就は自嘲した。
 雨は止みそうにもなかった。
「長曾我部」
 元就は息を吐く。いつまでこのままでいるつもりだ、漏らした言葉には頭を振られるばかりだった。うんともすんとも言わなくなってしまった元親に、元就は途方に暮れた。これを動かすにはどうしたらいいのかと、元就は考える。今生でも然りとばかりにある体格差はいかんともしがたかった。
 いつまでもこのまま濡れるにまかせていては風邪も引きかねない。元就は諦めて、溜息を吐いた。これはどうやっても自身の思い通りにする性質の男だった。
「……部屋に入れてやる」
 来い、と元就は告げた。話があるのならば、そこでしろ。
 その言葉にようやく元親は少し離れてみせた。久方ぶりにその眼を見たような気がすると思いながら、軽く見開かれた片目は元就を凝視しており、元親が驚いているのだと知れた。その驚いた顔に、元就は不快になる。不本意には違いがない。では、と元就は思う、貴様は、どんな結末を考えていたのだ、と言ったところでこの男は恐らく何も考えていないのだろう。元就は自嘲し、諦めて深く溜息をつくに留めた。

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